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「冷たいトマトのラーメン」

先日「今夜は家メシ!」と決め、食材と会話しつつ決めよ~!と
わが町のヨーカドー食品売り場へ。
何の気なしに麺コーナーを覗くと、オッ!こっこれは!!
今までのラーメンの常識を覆すようなエポックメーキングな商品が!
その名も「冷たいトマトのラーメン」
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今までは温かいトマトラーメンは食べた事が有りますが、これは冷やして
食すのです。
袋の中身はこれだけ。いたって簡単なのです。
お忙しい主婦の方も、面倒くさがり独り身男性も大丈夫!
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しかし「味はどうなんかな~?」と思いつつ食したところ、いけました。
「ご自宅の味を」とお思いの方はこれにフレッシュトマトのざく切りや
フレッシュバジルやオリーブオイルを加えたり。
妊娠中の酸味の欲しい方はバルサミコを加えるのも良いかも知れません。
私はこれに無印の「ガスパチョ」を入れると良いかな、など等。

私は腹が空いていたのでメンはあっという間に完食。
これに「替え玉でも有れば?」と思った瞬間「バゲットをこのスープに
浸して食べてもよいよい」と思いました。
要はアイディア次第と云う事ですか。

今度、食のアフリエイトでもやろーかな~。
by sammy-mola-art | 2010-07-26 15:49

祭囃子が聞こえる

あの山鉾巡行から始まりチントンシャンの音色を響かせての京都祇園祭も
最終日を迎えた昨日、私のまちの納涼夏祭りも最終日。
今年は晴天の三連休という事も有ってか、かなりの人出で賑わった。
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地元のお祭りに行くなんて20年振りのこと。
自宅から200メートル先の公園内で行われるのに。
毎年この時期になると風に乗って祭囃子が聞こえてくる。
自宅の近くを、浴衣を着た中学生や小学生の女の子達が奇声を発しながら、
何やら楽しそうに行き交う。
その前か後に男共が居て無邪気にはやし立てる。
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心の様は今の子供達とだいぶ違うが、遥かむかし自分にもそんな思い出があった。
以前はこんなに男女が一緒になってお祭りに繰り出す事は稀で、
淡い恋心を秘めて男同士、女同士で期待と不安を胸に向ったものだった。
男子は「あの子は来ているだろうか?」そして女子は「新調した浴衣の自分を
探し当ててくれるだろうか?」なんて。
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提灯やライトで明るく映し出された会場に一歩足を踏み入れると、お囃子や
雑踏で気分が盛り上がるのと同時に緊張で足は浮き足出すのである。
友人と行動を共にしなくてはならないが目はいつしか“あの子”を探している。
ズックも土埃で汚れ果て、つまずいたりぶつかったりしながら。
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やっとの思いで一かたまりの女子連の中に“あの子”を見つける。
すると友人達も「おー!あいつ達も来てるな。おまえ行かなくていいのか?」
などと余計なことを言う。
「何言ってんだバカヤロー!」と返しつつも目は“あの子”に釘付けなのだ。
すると15メートルは離れて立っている“あの子”も友人達につつかれ私を認識する。
少し緊張した面持ちで、笑顔の様なそうでない様な顔をし、じっとこちらを見つめる。
一瞬時間が止まったように見つめあう。
ほんの短い時間であったが、それだけでじゅうぶんだった。
そんな短い一瞬だけど、私は“あの子”の今日の全てを心に刻んだ様な気がした。
「射的やろうぜー!」と、せっつかれ友人の輪のなかに戻る。
満たされ、世界で一番幸せであろう自分がそこにいた。
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時は流れ、私にも可愛い甥っ子が出来た。
母は日本の風物詩でもある夏祭りに孫を連れて行くのを何よりも愉しみにしていた。
実家に帰った娘と孫と私を伴なって。
まだ2歳か3歳の可愛い盛りの甥っ子は白いかすりの甚平姿。
ちょうどこの子くらいの時だろう。
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当初その人込みや音楽に圧倒され、つないでる手をぎゅっと握って離さない。
それどころか口をぽか~んと開け“僕どうしたらいいの?”と固まっている。
そんな時の子供の表情がたまらなく可愛い。
抱き上げダッコをすると“守られている”という事を実感するのか急に元気になる。
すぐ横にある顔がにんまりとしてくると、もう私はこの子の奴隷のごとく指示に従い
動かされるのである。
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もうあれから何十年たったのだろう。
祭囃子が風に乗り聞こえてくると、いつもこの二つの事を思い出す。
by sammy-mola-art | 2010-07-19 18:51 | 独り言

MYOC第7レース

昨日7月11日MYOC(諸磯ヨットオーナーズクラブ)の第7レース
が行われた。
当日の風向き:220 風速:1~6m 波高:1m
我がモラモラは総勢7名のクルーでAM10:30スタート前に1時間かけて
テストランニング入る。
曇天とまとわり着くような湿気を含んだ空気のなかを走り出す。
しかし一旦、相模湾の風を受けだすと気分は一変し爽快な気分になる。
そんな気分につれてか俄かに陽も差してくる。
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今回は出廷数も少なく15艇ほどだが、その2/3はレース艇で、アフターや
居住性をも兼ね備えたモラモラはクルーザーという部類。
ハンディは有っても「楽しくやろうじゃないか!」がモラモラの精神。
すでにビール飲んで気合入れちゃったもんね。
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やはりレース艇は皆ケブラーのセールで、いかにもと云う感じでカッチョイイ!
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AM10:30スタートを間近に控えると皆殺気立ってくる。
洋上なのでスタートラインなど無い。エンジンも駆ける事が出来ないので
風を読み、他の艇の動きをつぶさに確認しつつ最高のポジション取りに全神経を
集中させる。
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時には何度となく、ぶつかりそうに成りながら、怒号が飛び交うなかのスタート。
アドレナリンが全身を駆け巡り、闘争本能に火が付けられる。
この一瞬がたまらない!一種の麻薬の様でもある。
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この後、各艇はスキッパーやタクティシャンの考えるコース取りで散らばり回航地点
である南西ブイを目指す。
南西ブイが近くなった辺りから風は次第に強まり6~7m。雨も次第に強くなり
結構なヒールのなか、各々急いでオイルスキンに着替える。
その間、すべるデッキのなかジャイブ、タッキングを繰り返し一時たりとも
手を緩める事は出来ない。
回航に入ると本庄海洋操練所の門下生2名によるスピンワーク。
南西の風をまともに受け、大きく膨らんだスピンネーカーの美しさは
ヨットならではのものだろう。
疲労も溜まってきたなか、何か力強さを授けて貰ったような気さえする。
その大いなる固体を嬉しさを交え、しばし呆然と見上げる
もう何も言うことはない。

そして速度は二倍以上に達し、ゴールを目指していた。
by sammy-mola-art | 2010-07-12 20:10 | 好きなもの

YOKOHAMA SOUL

この横文字からして音楽なのかと思いきや、そうでは有りませんでした。
「AFUCO」という美容系の会社が毎年主催しているセミナー。
友人からのお誘いで出席する事になったのですが、今年は「坂本龍馬と妻おりょうの
生き方から学ぶビジョンセミナー」と銘打ち「ビジョンに向かい続ける意志から生まれる
大事なもの」をテーマに2名の講師の方に語ってもらうと云うものでした。
当初「どうせ、龍馬ブームにあやかったもので大した事はないだろう!会場が横浜市開港
記念館という事もあり比較的近いので、まぁーいいか」てな感じでした。
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ところがどっこい2名の講師の方々の話は非常に興味深く、我を忘れて聞き入りました。
最初の講師は、横浜に代々続く高級料亭「田中屋」の五代目女将「平塚あけみ」さん。
田中屋とおりょうの繋がりは、龍馬の暗殺後途方にくれていたおりょうが勝海舟を頼り、
海舟の口利きで神奈川宿の田中屋に仲居として働いていたと伝えられている。
当時は30~40も有った神奈川宿の割烹。現存し営業を続けているのは田中屋のみで
生きながらえた一つの要因として、先人の知恵も有ったのだが一つには、
おりょうの存在が欠かせなかったという。
田中屋に残っている沢山の写真や資料をもとに語る女将は気さくであるが、
凛とした風情を漂わせている。
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そして「我を忘れて聞き入った」とは次の講師「高知県立坂本龍馬記念館
館長 森健志郎さんの話だろう。
藩のなかは「上士と下士」というものが存在していたのはご存知と思うが、上士は今でいう
国(藩)がひとり一人を管理していて、その足跡をたどる事により、大まかな人物像を
知る事が出来るのであるが、下士の場合は“それ”が無く、知る由もない。
「龍馬がいく」」を書いた司馬遼太郎も膨大な資料を読み漁りはしたものの、
幼少から青年期のはっきり龍馬像を伺い知ることは出来なかったという。
ただ龍馬は非常に“筆まめ”であるらしく、現存する龍馬直筆の書簡は139通確認されている。
その内容から彼の人柄が如実に表れているという。
どんな簡単な文章、例えば日々記録する最近のブログであれ何であれ「書は人なり」
「文は人なり」とその人物の育ちや考えを方を如実に表わすものであろう。
公文書では知る事が出来なかった28歳までの龍馬が文久二年三月、
土佐を脱藩して以来初めて書いた姉乙女への書簡は、海軍を結成すると云う
勝海舟の弟子になり希望が叶えられた喜びをのびのびと語っている。
この様に龍馬は普通の武士(男)が、事実あった事柄だけを書き記すのではなく、
日々の暮らしぶりや考え方を具体的に分かりやすく伝えるという特徴があるという。
勉強ぎらいであった龍馬は本を渡されても表紙を見るだけで「もう分かった」と返したという。
ただ直感や感性に非常に優れていたらしい。(本当は埋もれていた知性が有るのでしょう)
ここまで世の中や人を動かし、歴史上に名を残す人物と成った所以は何だろうか?
どのようにして坂本龍馬という人間が形成されたのであろうか。
下士という身分の低い武家に生まれ育つが比較的恵まれた暮らしと、何よりも
開けれていて愛情豊かな家族に因るものであろう。
森さんが云うに実際はIQに勝るEQである。
人を動かすとはこれではなかろうかと。
by sammy-mola-art | 2010-07-02 22:57